点と点で何になる?
昨日の夜は音楽を聴かなかった。朝4時50分目を覚ます。
6時ごろ、タイミングを見て階段を下る。なぜだか階段を下るときに、足音を出すことは好きではない。抜き足差し足忍び足で一階へ。
ミッフィーとお友達になるため、ダンスをするのが最近の日課だ。
こうした積み重ねで、ミッフィーへの道のり、ミッフィーのお友達への道は開かれていくのだろう。
様子を見た母親が戸惑っていた。「犬にはならなくていいの?」
この曲も日課に取り入れている。大好きです。ふわふわなものが好き。かわいい。
犬に挨拶をするため、再び二階へ。
顔をあげるとゴッホと目が合う。
踊り場にはゴッホの自画像はじめ、様々な絵やそのポストカードがかけられている。風景や写真も多い。
ネンネの部屋(世間では寝室というのだろうか)にいるお兄さんたちは、アルチュール・ランボーとポール・マッカートニーだった。
台座の上に前足を置いているスタイルの良い犬の写真だと思っていたものが、アヌビス像だったことに気が付いたのは割と最近だ。
私の部屋にも美術館に行った時の思い出がいくつかある。
彦根城とシロナガスクジラとレッサーパンダ、鳥獣戯画に挟まれて。
「印象派を超えて 点描の画家たち」という展覧会で見かけたこの絵に心奪われた。
ポール・シニャックの『鐘楼』だ。
普段は、オランダのクレラー=ミュラー美術館に所蔵されているらしい。
あの時は、遠路はるばるありがとうございました。
ゴッホのあの自画像も、この展示会で手に入れたものかもしれない。どうだったっけ。
ゴッホの展示会にも何回か訪れたが、幼稚園児の耳にはゴッホの耳を切った話は過激に聞こえた。怖い印象ばかりで自画像を見るのは怖かった。
でも、『夜のカフェテラス』の夜空は好きだったなぁ。
さてさて、点描。
色あせてしまったこの写真ではわかりにくいかもしれないが、目で生で見ると、想像以上に、それはただの点であるのだ。むしろ、遠くから見ないと絵として捉えられない。
遠くから見た色と、近づいて実際にキャンバスに載っている色は違う。
展示会では、「緻密に計算された点同士は美しい」と感嘆の声があふれていた。
たしかに、いくつもの点によって、この一枚の絵はつくられている。
点と線、そして絵のことを考える。点。てん。・。
点と点で線になる。
点描の世界は、近づいたらもちろん点だ。
でも、遠ざかると線に見えるだろうか?点と点で一つの線がつくられているのか?と言われたらそれも少し違う気がする、と現地の私はもやもやした。
様々な色の点は、遠ざかっても点のままに見えた。
点のまま、絵はうまれていた。
少し角度を変える。斜めから横からみると、勢いのまま飛び出し固まった絵の具があった。
その絵の具の生々しさにドキッとした。
平面のただの点だと思っていたものが、ガラッと様子を変えた。
点と点で何になるのだろう。